京都でオーロラが見えたことが話題になっています。
と言っても13世紀の話ですが・・・
国立極地研究所と国文学研究資料館の共同研究チームが発表したらしいのですが、過去の記録を分析したら13世紀に京都でオーロラが見えたとの結論に達したんだとか。
オーロラといえば太陽の活動が活発になるほど地球の北極や南極で観ることが出来るもののはず。
過去には北海道で観測されたとか横浜でも観えたなど、日本でもたまにこういった現象がありますが、13世とはいえオーロラが京都で観測されたとの報告は聞いたことが無いので驚きですよね。
いったいどうやって調べたんでしょうか・・・
オーロラは太陽表面の爆発で起こる
太陽の表面で規模の大きな爆発が起こり太陽フレアが発生すると、それが太陽風となって地球に到達します。
太陽風は非常に高いエネルギー粒子で、これが地球の大気の酸素や窒素などの粒子のぶつかって発光すると考えられているのがオーロラです。
通常は地球の磁場に遮られるため、磁場の出口と入口にあたる高緯度地域の「オーロラベルト」付近にでしか観ることができません。
京都のような低緯度の地域でオーロラが観測されたということは、当時の太陽活動が如何に活発だったのかということが想像できます。
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太陽の活動は11年周期でピークを迎える
太陽はこれまでの観測によると11年周期で活動が激しくなります。
太陽の活動が活発になると磁気嵐が発生してオーロラが発生し易くなり、地上からは美しい光景を楽しむことが出来ます。
ところが、良いことばかりではなく人工衛星の故障を引き起こしたり、地上の電気ケーブルに障害を起こして大規模な停電や通信障害を起こすことがあります。
1989年に大規模な磁気嵐によりカナダで起きた大停電は記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
なので美しいオーロラを観たければ太陽の活動が活発な時期を狙ってみると良いかもしれません。
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ただしオーロラのメッカ(イエローナイフ)の住人に言わせると太陽の活動とオーロラの出現率は関係ないといいますが・・・
実際はどうなんでしょう?
ちなみにイエローナイフに1週間も滞在すればほぼ100%に近い確率で観えるそうですよ。
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京都は北緯 35度
オーロラの発生は極域近辺が最も多く、緯度が低くなるほど見えにくいとされています。
ちなみに京都の緯度は北緯35度とかなりの低緯度となっています。
今回京都のような低緯度で見られるオーロラのことを「低緯度オーロラ」と呼んでいますが、藤原定家が「明月記」を書いていた当時では、多くは「赤気」、ときには「紅気」という言葉で表現されていたようです。
ちなみにこれまで低緯度オーロラが世界でどれだけ観測されているのか調べてみたら、以外にもフロリダやハワイでも観測されたことがあるそうです。
京都よりも低い北緯20度周辺でも観えるくらい大規模な磁気嵐があったんですね。
ただしこのような低緯度オーロラは肉眼での観測は困難のようで、おそらく専門の機器で観測されたものだろうと推測されます。
どうしてこのような低緯度オーロラが現れるのかは不明のようで現在研究中とのこと・・・
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藤原定家が残した日記から分析
今回の報告では研究チームが注目したのが藤原定家の日記である「明月記」だったそうで、そこには
建仁4年正月19日と21日(1204年2月21日、23日)に京都で「赤気 (せっき)」が出た
との記述があるとされているそうです。
この「赤気 (せっき)」というのがオーロラを指すのではないかと注目し、中国の歴史書「宋史」に記録されている太陽黒点の活動と照らし合わせることで「赤気 (せっき)」がオーロラであることを確信したそうです。
京都・仁和寺の「御室相承記」にもピッタリ同時期に似たような記述があることから、現在までの調査では最古のオーロラ観測記録とされているそうです。
藤原定家といえばかに星雲が超新星爆発した後の残骸って知ってましたか?でも書きましたが、カニ星雲が出来る前の超新星爆発を「明月記」に記していたことでも知られています。
その「明月記」に京都でオーロラが観測されたことが記されていたそうで、カニ星雲の件に続いて今回のオーロラといい、藤原定家はひょっとして天文学者かもしれませんね。
少なくとも藤原定家は、夜空に輝く美しい星に魅了されていたことは間違いないでしょう。