世界で初めて地球の直径を割り出した人はエラストテネスであることは、当ブログ(地球の直径を昔の人はどうやって割り出したの?)ですでに書いていますが、過去に日本人で初めて地球の直径を割り出した人が居たってご存知ですか?
その人の名は伊能忠敬(いのう ただたか)
伊能忠敬は1745年生誕~1818年没、江戸時代の商人で、当時、測量技術が未発達にもかかわらず正確な日本地図を作成したことで知られています。
江戸幕府の要望?により日本の全体地図を作成することになったわけですが、本当の目的は地球の直径を知りたかったからだったそう。
今回は地球の直径を割り出したはじめての日本人として伊能忠敬に注目してみました。
地球の直径は弥生時代に海外で割り出されていた
実は地球の直径はかなり昔に割り出されていて、時は紀元前275年 – 紀元前194年、ヘレニズム時代を生きたギリシャ人のエラストテネスにより割り出されています。
この年代といえば日本では弥生時代に相当し、おそらくは地球が丸いことも知らなかったはずです。
ところが当時のギリシャ人の間では地球が丸いことも認識したとされています。
さらには数学が発達しており、所謂「三角法」の応用により地球の直径を割り出したものと思われますが、それにしても日本との差は歴然です。
エラストテネスが利用した地球の直径を割り出す方法とは、太陽光による影を測定して計算する方法によるもので、890km離れた地点での影の長さを測ることで公式に当てはめて算出しています。
詳しい解説はこちら:地球の直径を昔の人はどうやって割り出したの?
算出された地球の直径は実際の距離と10%誤差が生じたそうですが、これだけの条件で10%の誤差なら凄いことですよね。
それから2000年も経ってからようやく日本で地球の直径を算出するために動き出したのは、科学者として自らの手で正確な数値を割り出したいとの衝動に駆られたのでしょう。
天文好きだった伊能忠敬
1745年、千葉県の九十九里に生まれた伊能忠敬は、幼い頃から天文に興味を持っていたようで、後に幕末の天文暦学者として名を連ねたとされています。
忠敬は、17歳で伊能家の造り酒屋に婿入りし、50歳まで家業に専念すると、その後息子に譲り、自身は江戸に移り住みます。
そして幕府の天文方とされる高橋至時(たかはしよしとき)に弟子入りすると伊能忠敬は天文に詳しくなります。
天文に詳しくなっていくうちに何時しか地球の大きさを知りたくなったといいます。
その時代には地球が丸いことも、おおよその大きさは分かっていたはずです。
にもかかわらず地球の大きさが知りたいというのは、忠敬自ら調べることで自分を納得させたいとの考えだったのかもしれません。
そこで忠敬が高橋至時から学んだ測定方法というのが、南北に離れた2地点における北極星の角度です。
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伊能忠敬が地球の直径を割り出した測定方法
エラストテネスが地球の直径を割り出した方法というのが2地点での影の長さを測定することによるものに対して、伊能忠敬が採用した方法というのが2地点での北極星の高度の違いによるもの。
分かり易く解説すると、ご存知のように北極星は地球の自転軸の方向にほぼ一致していることから他の星のように一年中ほぼ位置が変わることはありません。
しかしそれは同じ地点から見ればという前提が付きます。
つまり南北で離れた位置から観測すると北極星の高度は変わってきます。
極端に言えば北極点から北極星を観測すると真上に見えるのに対して赤道に近くなればなるほど北極星の高度は低い位置に観測することになります。
この考え方をベースに伊能忠敬は計算により地球の直径を割り出したのです。
離れた地点から観測したデータを元に計算により算出する方法としては、基本的にエラストテネスが採用した計算方法と同じです。
17年間、日本全国を歩いて測量
忠敬が最初に測定したという地点が浅草と深川での2km離れた場所から北極星の高度を測定したとのこと。
しかしたった2kmしか離れていない場所で北極星の高さを測ったところで、あまりに誤差が大きくなることを懸念した忠敬が考えたのが、遠く離れた北海道の蝦夷と呼ばれる地点でした。
しかし当時は飛行機も無ければ電車もありません。
どうやって蝦夷まで行こうかと考えたときに思いついたのが、正確な日本地図を作成するということを名目に、蝦夷で北極星を観測することです。
忠敬は正確な日本地図を作成することを幕府に提案してお墨付きをもらうこととなります。
しかし、たいした観測技術が無い時代に日本の地図を作成するには歩き回って測量するしか方法が無かったといいます。
そのとき忠敬は55歳となっており年齢的にも結構きつい作業となったはずです。
それから17年間日本の沿岸部を歩き回って測量が完了したときには70歳を過ぎていました。
しかし測量数値を元に日本全国の地図が完成した頃にはすでに忠敬は亡くなっていたといいます。
ただ、本来の目的である北海道の蝦夷での北極星の高度と江戸からの距離から計算した地球の外周を39,960kmと割り出したのです。
実際の地球の赤道での外周が40,075 km、北極と南極の2点を通る外周は40,009kmですから、誤差にして49kmということはほぼピッタリといえるのではないでしょうか。
10%の誤差で地球の直径を割り出したエラストテネスに比べると如何に忠敬の観測が緻密であったのかが伺えます。
ちなみに地球の直径は、これらの外周を円周率(3.14)で割ることで算出されます。
時代が違うとはいえ自ら歩いて観測地点に向かって観測する忠敬の功績は非常に偉大なものといえますよね。