ブラックホールが初めて撮影されたことで、世の中ブラックホールの話題で持ちきりですよね。
光も脱出できない天体ということで直接観測することも出来ないのに、周囲の天体を撮影することでぽっかりと穴が開いたように見えるブラックホールが撮影できたということは、私たち素人にとってイメージしやすいとして画期的な方法ではないかと感じます。
そんなブラックホールの話の中でよく耳にするのが「特異点」や「シュワルツシルト半径」という言葉。
実はこれ、ブラックホールの内部構造を表すときに使われる用語で、ブラックホールの規模を表すときに利用されます。
今回はブラックホールの「特異点」や「シュワルツシルト半径」がどのようなことを示すのか解説します。
ブラックホールからの脱出速度を考える
ブラックホールを語る上で避けて通れないのが脱出速度です。
脱出速度とは、天体の重力から脱出できる速度のことをいい、地球であれば地上からロケットで秒速11km/sが必要です。
太陽であれば表面から618km/s必要です。
天体表面からの脱出速度は質量が同じであれば密度が高いほど大きくなります。
つまり同じ質量であれば半径が小さいほど密度が小さくなるのでそれだけ重力も大きくなるので表面からの脱出速度が大きくなります。
これらを踏まえて考えるとブラックホールの構造を見ていきましょう。
ブラックホールは無限に一点に集中した天体
ブラックホールは質量の大きな恒星が最終段階で自らの重力により中心に向かって収縮し、質量が一点に集中して無限に小さくなった天体です。
その一点というのが「特異点」と呼ばれています。
また特異点の周囲は光も脱出できない非常に強い重力の領域がありますが、その領域の外との境目のことを「事象の地平面」と呼んでいます。
事象の地平面にいったん足を踏み入れると二度と外には戻ることが出来ません。
特異点を中心として事象の地平面までの半径のことを「シュワルツシルト半径」と呼んでいます。
もちろんこれらは実際に区別があるわけではなく、事象の地平面を境界として物理的な条件が違ってくるということです。
すでに解説してあるように脱出速度は、重力が大きくなればなるほど大きくなりますから、当然重力の大きなブラックホールであれば脱出速度も大きくなります。
しかしすでにお話したようにブラックホールは無限に収縮した天体で密度も無限となるために脱出速度は光の速さを超えてしまいます。
宇宙には光よりも速い物質は存在しないとされていますから、ブラックホールの事象の地平面から脱出できる速度というのは存在しないのです。
ブラックホールから光をも脱出できないというのはこうした理由があるからです。
ブラックホールはシュワルツシルト半径により大きさが決まる
よくブラックホールは物凄い重力とされているのでとても大きな天体というイメージがありますが、実は以外と小さな天体です。
たとえば太陽と同じ質量のブラックホールであれば、計算上ではシュワルツシルト半径が3kmまで縮めなければなりません。
一般的な恒星質量ブラックホールであれば太陽の10倍程度のブラックホールであればシュワルツシルト半径は30km、太陽の1,000倍質量程度のブラックホールであればシュワルツシルト半径は3000kmでしかありません。
また、天の川銀河の中心には太陽の400万倍の質量の超大質量ブラックホールが存在しているとされていますが、それでもシュワルツシルト半径は0.08AU(太陽~地球間の0.08倍)しかありません。
このことからいえることは、ブラックホールは大きさよりも質量で比較した方がイメージしやすいです。
ブラックホールを発見したのはシュワルツシルト
ブラックホールを発見したのはアインシュタインと思い込んでいる人は多いかと思いますが、実はアインシュタインは一般相対性理論から重力理論方程式をまとめ上げて発表したにすぎないのです。
その方程式からブラックホールの概念を導き出したのが天体物理学者カール・シュワルツシルトです。
彼はアインシュタインは重力理論方程式から脱出速度が光速になる天体の半径を割り出しました。
これが所謂「シュワルツシルト半径」で、脱出速度が光速となる面を「事象の地平面」と呼ばれているのです。
つまり、それまでアインシュタインは、一般相対性理論によれば宇宙には重い星が存在するはずと予言していたに過ぎないだけで、それを計算によって脱出速度が光速を超えてしまう天体としての解を導き出したのがシュワルツシルトというわけです。
したがってブラックホールを発見したのは実質的にはアインシュタインではなくシュワルツシルトということになります。
ただこのシュワルツシルトは病により43歳という若さで亡くなっており、「シュワルツシルト半径」と名づけられたのもこうした功績があったからでしょう。
しかしアインシュタインが凄いと思ったら、もっと凄い天才がいたんですね。